どうしたらいい?

リーグ優勝・ACL優勝!国民国家解体!定年退職者に昼酒の自由を!

翌日も藤の花を見に

家から歩いて1時間弱、三橋の青葉園の藤を見に行った。




かみさんは歩くのが早い。

信号で少し急いだ俺はもう胸が苦しくて歩くのが辛い。

それでよく山に行くわね。

へいへい、遅くてごめんなさいよ。

青葉園は日本初の公園墓地だと案内板に書いてあった。

大宮にこんなでかい霊園があったとは全く知らなかった。

大宮生まれ育ちのかみさんも始めて来たそうだ。

とにかくでかい。

創設者は山下奉文の部下だったそうだ。

もう一度言うが、とにかくでかい、谷中墓地よりも広いんじゃないのか。

この藤は色が濃い。この写真で見えているのは全体の1/4ほどか・・・


往復、8700歩の散歩だった。

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4.28 清水に勝利

試合を見ながらのかあちゃんとつまらないとかドキドキしないとかそんな会話をしながら見ていた。

試合開始から10分くらいは攻撃的に行っているようにも見えたがその後は
最終ラインでボールを回して最前線に放り込む。
中盤省略、中盤でボールを失いたくないという「前半何が何でも無失点」サッカー!

前半終了時のスタッツ紹介でアナウンサーにパスは浦和が多いですが
最終ライン同士のパスで稼ぎましたと言われた。
情けねえなあ、かあちゃん。

こんなつまらない展開になるのは浦和のゲーム運びに清水が付き合ってしまうからだ。
なんともいいようのない試合だ。
Jリーグをつまらなくする浦和レッズ!

後半もいい形は清水の方が多い。
ウラワ―カモンカモン!が聞こえてきた。
そうだ!点を決めろ!(その前にシュートを打て!)
かみさんはこれ(チャント)が出るようじゃダメなんだけどねといつも言う・・・
俺達には負け試合でこれを何度聞いてきたことか。
もう刷り込まれて消えることがないんだ。

CKからの流れで興梠がこれが興梠だ!という体の動きでPA内でシュートを打ち
GKが弾いたのをマウリシオが決めた。
決定機は清水の方が多いが点を取ったのは浦和だった。
アディショナルタイムの清水のシュートはバーに救われ
跳ね返りのボールからカウンター発動。
汰木のドリブルから興梠にグラウンダーのクロスが通り興梠が鮮やかに決めた。
久々のすっきりするゴールだった。
何でも平成最後の昨今だがJリーグの平成最後のゴールなんだそうだ。
曰く平成最ゴールまたは平成最後ール。

とにかく勝てばうれしい、浦和サポ夫婦なのであった。

午前中から蕨に藤を見に行った。
三学院はなかなか立派なでかいお寺だった。
付属幼稚園の敷地にある藤


太い幹


近くのせんべいやに寄ったらこんな色紙があった。
吉田類はどこで飲んだのだろう?



昨日の夕飯はジャンボエビフライ

作ったのは切り干し大根の煮物と味噌汁だけ。


煮物はニンジンとちくわ入りでなかなかいい味になった。OK!
味噌汁は寒かったのでなめこと豆腐にした。
メインは前日に買ってあった肉屋の生ソーセージと角上のジャンボエビフライだ。
ソーセージは15分茹でてフライパンで焦げ目をつけるという肉屋の指示に従った。
エビフライは1匹350円という俺にしちゃ大盤振舞だ。

解散した厚生年基金の分配金を一括で受け取った。
わずか118,000円ほどである。
それでも一息つけると思う貧しいジジイなのだ。
ボートで半分すっても今年の夏山は行けるぜ!
とこんな発想は絶対しちゃいけない。

火曜日の全北現代戦(1-2で負け)について湯浅健二は2失点してからの戦いに希望を見たと書いている。
でも湯浅さん、最初から失点した気でやれよと俺はいつも思っているよ。
浦和レッズがバラバラにならずにいるのは何とか勝ち点は拾っているのと
オリベイラが監督だからだが
試合内容については納得している選手は一人もいないだろう。
勝てなくなればオリベイラの存在感、Jリーグ3連覇からの存在感も無くなる。
今の浦和レッズを見ていると早くそうなっちまえよと言いたくなるが
いやいやそう言っちゃお終いだとも思い返している毎日だ。
ともかく清水戦で吹っ切れた姿を、戦う姿を見せてくれ。
試合開始からね!

愛節忌

兵六の前に開店5分前に立っていると常連が3、4人、Sさんも登場して一緒に店に入った。
開店は千代田区の時報のチャイムと同時なのだ。
Sさんとビールを飲んでいるうちに名前の覚えられない先輩が、
続いてSWさん、そして2年振り?のOさんが登場した。
生きていましたかとテンションが上がって固い握手をした。
Tさん、M子さん、SMさん、最後にKさんで全員そろった。
SMさんが登場するまでは献杯の雰囲気も出ずだらだらと飲み続けていた。
Yが来ないのでメールしたら明日じゃないのか?!だった。

3月生まれのSWさんは70歳で67年の入学だった。
67,68,69と美味しいところ全部取りだと愚痴もこぼしたくなるぜ。
すぐ卒業するのも何だしというので1年休学して71年卒業だと言っていた。
名前の覚えられない先輩はオリンピックのボランティアになったと言っていたが
俺もSさんも申し訳ないほど全く関心がない。
金がもらえないのはダメなんじゃないの・・・だった。

無双に切り替えて更に飲みTさんはあの時代は俺達でも会社を興せるような
いい時代だったと振り返っていた。
Tさんも70歳、67年入学で小さな会社の社長だ。

みんな耳が聞こえなくてコード無しのイヤホンでテレビを見てるとか
人との会話で聞き返すことが多いとかそんな話ばかりだ。
かみさんとの会話はお互い聞こえないまま相槌を打っているとも。
確かにそうだよな。

Sさんはかみさんや娘とは会話無しで孫としか話をしない。
おばあちゃんどこ行った?
おかあさんは?と情報は小1の孫から聞いてると笑わせてくれる。
孫を連れて戻ってくれば最近はOK!よくやったと言うらしいよには
みんな頷く。

M子さんは明日は福島に行くと気合が入っていてラドリオには行かずに帰った。
ラドリオでKさん、Oさん、Tさんとウィンナーコーヒーを飲みながら話を続けたが
よく覚えていない。

K子さん、Hさん、KNさんも来れなくなった。
どこまで続く愛節忌だな・・・

昨日の高尾山は超満員

5時神保町での愛節忌の前に高尾山へ。

高尾山口到着は10:33だった。



シャガとお地蔵さん


花の写真を撮りながらゆっくり歩く。






ニリンソウ、これは3輪だった。
 

沢沿いの山の斜面から怪しげな声が・・・ボウボウいやブワッブワッ
表現のしようもないがどうもこの穴から聞こえるらしい。
2,3メートル先の穴からも聞こえていた。鳥だと思うが何だ?!


6号路を登る途中、2回下りてくる小学生の一団とすれ違った。
5号路との合流地点では昼食を終えた小学生が出発準備をしていた。

頂上はこんな状態でこのすぐ先の展望台は歩くのも大変な込みようだった。
みんな小学生4,5年生くらいか?
いろんな学校がこの日を狙ったみたいだ。


頂上下のベンチでおにぎり2個の昼食。
5号路を4号路方面から来た一団は「遠足のしおり」風を手に次は
あっちだこっちだと騒いでいた。
もみじ平に行くのやもみじ平を巻く道に行くのがいたが
残りは稲荷山はこっちだと先生と一緒に行ってしまった。
休憩していたおばさんがあららあの子たちはおいてかれたよと心配していた。
そのうちみんな戻ってきたがもみじ平組は自分達の判断で
巻き道組は後を追いかけたおじさんが連れ戻してきた。
チェックポイントには先生がいてと・・・子供が言っていたが
先生、チェックが甘いぜ。
しかし、ただ引率に従うだけじゃなくて子供に判断させるのはいいんじゃないか。

もみじ平は巻かずに一丁平まで行ったが城山まで行くのは時間的に厳しい。
うっすらと写真には写らないほどうっすらと富士山見えていた。
見えないという人やうっすらと見えてるねと言う人
俺もサングラスだと見えるが裸眼では見えなかった。
山桜が少し咲きの残っていた。




後は巻いて撒いて撤収。
帰りは稲荷山コースにした。









スミレは色んな種類があるらしいが・・・これは葉っぱで分かるエイザンスミレ


これは秩父のKさんの庭にも咲いていたイカリソウ


おなじみ稲荷山コースの「蛇の看板」


メルカリで買ったLAD WEATHERのパンツはまあまあといったところだ。
思ったほど膝に引っかかる感じはしない。
サイズが合わなかったので売りますという未使用品で送料込み¥2750なのだ。


ビールを飲みながら神保町へ向かった。

神戸戦 1-0

もう何年もリーグ戦でチケットが買えないなんてことはないので
昨日のチケットも、そろそろ神戸戦だと思った時には完売だった。
そういえば去年も同じ理由で神戸戦は行かなかった。
ACLグループステージ用にスカパーに加入することもなく
俺もかみさんも浦和レッズに対する気持ちが薄れているのかも。

前半はいい入り方だと思ったが興梠のPKで先制してからは
勢いが落ちていく。
何でいつもこうなんだよとストレスが溜まる。
1-0勝利でいいのか?
オリベイラレッズはしたたかだ見たいな評価をする奴もいるが
とんでもない。
結局シュート数は5本!それも後半は1本だけだ。
54599人の客の前で観せる試合じゃないだろ。
Jリーグフアン、レッズのサポを獲得するなんて無理無理無理!

試合後の興梠の「でもちょっと見苦しい試合でしたよね」の言葉を聞くのが辛い。
後の選手はそれなりに自分のやることは出来たつもりなのかもしれないが
前目の選手は面白くないんだろう。
オリベイラのやり方をなんとか納得しようとしている感じだ。

琉球の試合の方がずーっと面白いぞ!

もらってきたクルミだ。


これは一昨日作った菜花のツナ和えとピリ辛こんにゃく。
イチゴはかなり痛んでいたぞ!芦ヶ久保道の駅!



ハードな大滝訪問

11時にKさんに西武秩父まで迎えに来てもらって
ベルクで買い物をして旧大滝村に向かった。
途中の電車からはパステルカラーのパッチワークの山が見えていたが
大滝ではまだそこまで春が来ていなかった。
でも桜はまだ満開だった。

かきでぇら山荘でビールを飲みながら昼飯。
焚火は一発で火がついた。


カラマツは芽吹き始めだ。


山桜もあったのだ。


Kさんが下の家から戻ってから竹林にタケノコを見に行ったが
まだ出ていなかった。
そこから「大滝げんきプラザ」まで歩いたが辛かった。
缶ビールを2本1Lを飲んでの山歩きは辛かったが何とか完登した。
途中、初めてカモシカを見た。


夕飯は七輪でバーベキューをやれて満足。
Kさんが作ったかす汁も美味かった。
武甲酒造の「のんべえ」720㎖もほぼ一人で飲んでしまった。
飲んべえではなく飲むべえ(飲もうよ)という秩父方言らしい。

満月の一日前とKさんが言っていた。中央の丸いのが月だ。


朝起きると左足が痛い。
Kさんの下の娘さんが予定より早く子供が生まれそうだという連絡があり
Kさん夫婦は急遽東京に行くことになった。
出発前に無事出産、母子とも健康の連絡があった。
横瀬の駐車場で別れてしばらく歩いて芝桜を見た。
武甲山を背景に一枚。


一度、西武秩父方面に行きかけたが思い返して芦ヶ久保まで歩くことにした。
ずりあげうどんを喰い野菜のお土産を買うためだ。
しかしこれが厳しかった。

春の秩父はどこも穏やかだ。これが桃源郷かと思ってしまうほどだ。
写真の上の黒いのはなんだ?カメラもそろそろ寿命か?


横瀬駅経由で歩くうちにザックの中のくるみが重く
(好きなだけと言われて遠慮なくもらってきたのだ)
左ひざが痛み出しおまけに腰もピリピリし出した。
トラックの風にあおられながら何とか芦ヶ久保道の駅へ到着。
イチゴ、葉タマネギ、菜花、キュウリ、ピリ辛こんにゃくを買い
ずりあげうどんを食べた。
カレー味のつけ汁でも食べてみたが美味かった。


これにて半年ぶり?のかきでぇら詣では無事終了した。
しかし世界、世間は動いているんだよな。
うちは停滞と言ったら娘には失礼なんだろうけど・・・
それにしても今までで一番ハードな大滝訪問だった。

今日の夕飯はアスパラ肉巻き

一本巻で「どうだ!」と言いたかったがフライパンに入らない。
仕方なく半分にカットした。
オイスターソースと言うのはどうもいまいちだ、上手に使うのは難しい。
それ以外はOKだ。

豆腐とたくあんと納豆、大葉の和え物。
もう一品はもやしとハムのカレーナムル。
味噌汁は玉ねぎと油揚げ。


出来はまあまあと言ったところだ。

大宮公園の八重桜。


東武野田線(アーバンパークライン)沿いの八重桜はほとんど切り倒されたらしく
紅いのが一本しかなかった。
一体何があったんだろう。

昨日は誕生日

69歳になってしまった。
数えなら古希だと思うとボー然としてしまう。
未だかってこれほどガキくさいジジイがいたか
昔のじいさんは誰を見ても、兵六の客でさえもっと立派にジジイをしていた。
歳相応に<成熟>していた。はずだ・・・
数年前のKの年賀状にロックの歳だと書いてあったが
俺にはそんな元気は空元気でもない。

誕生日のプレゼントは前日のケーキ -これはいつも下の娘が買ってくる。
お金はいいよとかみさんに言っていた-
と昨日の浦和レッズの勝利か?
どちらに転んでもおかしくない展開だったがセットプレーの崩れから
どこがいいのか良く分からないエヴェルトンが初ゴールを決めて
1-0で勝利した。
勝てて良かったが内容は不満だ。
流れからシュートに至るまでのやり方は見えないのだ。
攻撃の練習をちゃんとやってるのかとまで思ってしまう。
ジャッジにも助けられて試合終了。
逆ならレフェリーへのブーイングが終わらなかっただろう。

試合後、すずらん通りの前から行きたかった店に家族で出かけた。
試合帰りの大宮サポも何組かいて飲み食いしていた。
安い店だった。生ビール1杯290円だったか?
4杯飲んだぜ。


家族と一緒にダン家に行って生ビールを飲むこと嗚呼それが老人♪

89歳の叔母

佐藤愛子の「晩鐘」に師に対する手紙で親しかった人がみんな亡くなって寂しい、
歳をとって思うのは喪失感、寂寥感だというのがあった。
文学の師というのは北原武夫で親しかった友人の一人は川上宗薫らしい。
それを読んで叔母も今年89歳で一人暮らしだ。
金はあるので悠々自適だろうが気持ち的にはどうなんだろう。
顔を見に行こうか、もっと心配しなきゃいけないかと思った。

叔母はお袋の妹でちょうど一回り、12歳違いで母方の家の養女になった。
横浜で日立の工場の食堂で働いていたが兄(俺の叔父さん)が偉くなったので
妹をそんな形で使うのはまずい、問題があるという理由でやめたそうだ。
順番は良く分からないが俺が小学校入学前にお袋と上京した時には
アメリカ人夫婦の家でメイドをしていた。
でかい家だったのだけ覚えている。
その夫婦が帰国するときに一緒に来ないかと誘われたらしい。
これはお袋から聞いた。
平山弓枝の家でも働いていたのか、付き合いがあって
俺が結婚した時にはサイン入りの本をもらった。
料理が好きで今でも煮物を作ったりするのよと言っている。
そう言えば結婚してからもマツダの独身寮の寮母をしていたな。
それで何で金があるのか良く分からん。
亡くなった旦那の家も金持ちではないはずだし。
ずいぶん昔に夫婦で中国旅行を20回くらい行った、
敦煌にも行ったとお袋の葬式のときに聞いた。

俺が子供の頃はクリスマスに金貨に似せたチョコレートを送ってくれた。
アメリカの本やジーパンをもらったこともある。
こんなズボンをアメリカ人は穿くのか?!と思ったので記憶しているんだろう。
中学の頃には毎月、婦人公論と自分が読んだ本をお袋に送ってきていた。
中学生の俺は新婚旅行での初夜の迎え方とか結婚まで純潔の守り方とかを
婦人公論で読んだのだった。
60年代半ばはまだこんな時代だったんだ!
婦人公論には佐藤愛子も書いていたらしいが時期はもっと後なのか。
太宰の「斜陽」を読んだのもこの叔母さん文庫からだったな。
良く分からなかったけど・・・分かるはずないか・・・

かみさんにかけさせた電話から漏れる声はでかく元気で話す内容もしっかりしていて淀みない。
友達と仙台に行ったが近すぎて旅行した気がしないと言っていたそうだ。
お金出すから旅行設定してくれないと言われているが
人の金を使うことに躊躇する俺たち夫婦は河口湖どうですかと言いかねている。

佐藤愛子はその後「90歳、何がめでたい」を書いている。
これも読んでみよう。

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おおまた

おおまた

1950年生まれ。かみさんと娘2人(女子大2年と女子高1年)、かみさんの親父の5人暮らし。「くるみ」を初めて聴いた(見た)ときは泣いちまったぜ。そんな時はどうしたらいい?
時は流れ、上の娘は会社員、下はもうすぐ大学3年(就職厳しそう!)、俺は定年し無職のオヤジになっちまった・・・
更に時は流れ、親父さんは亡くなり二人の娘は何とか会社員をやりつつ腐女子を貫徹している。俺は1日4時間のパート暮らしだ。
更に時は過ぎ俺は完全無職だ。